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吉村真基(D.I.G Architects)建築についてのテキスト

建築における部分と全体

今年の名城2年前期第二課題、合同講評会を終えて個人的に考えたことの備忘録。
教育的な内容は特にありません(笑)。
 
第二課題は大学近くの敷地に地域と学生の交流拠点を設計するというもので、手がかりとして学生にとって想像しやすく自由度の高いプログラムと、同時にかなり読み込み甲斐のある敷地が与えられるという最初の設計課題としては理想形とも言える課題です。
「成長する空間・場」というタイトルが与えられていますが、これ自体が私の解釈ではメタメッセージ解読の練習になっていて、ここで「成長する」の文字通りの意味にとらわれるとちょっとヘンな方向に行ってしまいます。「成長する」は学生が応えるべきテーマではなく、あくまでもざっくりとしたポジティブイメージの象徴、もしくは、出題側が抱いている課題全体の大きなゆるい方向性なので、ここはその全体的なメッセージだけを受け取れば良いのです。その上で自分のコンセプトと上手くリンクした時は、キーワードとして取り入れても良いです。
大事なのは「空間・場」の方。このワーディングそのものが重要です。
まずはハードとしての構えや整合性や機能や性能にとらわれるのではなく、建築のスピリット…空間や場を設計してほしい、既存のタイポロジーにとらわれず、空間や場そのもの、学生それぞれの初源の空間に取り組んで欲しいという出題側の意図が込められていると思っています。
 
今年は初めて4クラス合同の講評会を行うことが出来ました。
去年から午前クラスの諸江さんとは勝手に合同講評会を行っていたのですが、学生は午前も午後も別の授業があるため実質的には午前と午後のインターバルタイム=昼休みしか合同にできる部分がなく、勿体ないな〜と思っていました。2年生ってまだ授業がいっぱいあって忙しいんですね。。。せっかくの機会がグダグダになっていたのがとても勿体なかったので、今年は別日を設け、結果的に4クラス合同という素晴らしいことになりました。
 
4クラスの作品を寄せ集めてみると、先生ごとの傾向がハッキリわかるし、自分が何を教えているのかいないのか、突きつけられることになります。
生田クラス:構成を踏まえ、空間的な見せ場がありつつそこに終始せずプレゼンにも手を抜かない。バランスの良い作品が揃っててさすが学生指導の水準の高さを感じさせました。王道です。
どうしたらああやって上手いこと学生を導くことができるのだろうか…。
中では、4枚のスラブと屋根で場を作っている作品が印象に残りました。敷地に対するスラブ配置のバランス、階高の違いによるピロティ空間と上層の内部空間の緩急、そこにかかる屋根の大きさのリズム感がとても良く、全体として無理のないボキャブラリーで空間にリズムが生み出されていて、かつ敷地に対する建物のスケール感がバッチリでした。もはやプロっぽい作品。

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向井クラス:図面、模型、シートの完成度、設計した場で起こるであろうソフトにまで言及している作品が多く、指導の熱量がすごい。同時限の授業だったのですが、私が全員のエスキスを終えて帰る時(だいたい18時くらい)に、毎回先生のクラスは半分くらい残っていてちょっと後ろめたい感じで帰ってました(笑)。聞いたところによると毎回19時〜20時はふつう、提出前は22時までやっておられたそうです…!ちなみに定時は16時20分(笑)。まぁ実際、40人弱を2コマで見るのはほぼ不可能です。。
印象に残ったのは最優秀クラスタではなかったけど、ボックスが貫入するシリンダーの周りを帯状の構造体が壁になったり床になったりしながら取り巻く作品。シリンダーに出たり入ったりする帯とシリンダーに貫入するボックスの関係が面白い。シリンダーはおそらく何かの境界を象徴しており、その間を行ったり来たりすることに意味があるのです。全体として完成度を重視する向井クラスでは異色でした。こういう人はうちのクラスに来ると良かったかもね(笑)。

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諸江クラス:作品がどれもきちんと建築になっていて、敷地の読み込みから立ち上げる建築的/構築的でまっとうな指導プロセスを感じさせます。諸江クラスは教室が同じこともあり、模型だけは全作品をざっと見てまして、本当に粒揃いです。
諸江さんの指導は建築教育のメインストリームだと思うのですが、彼のクラスには何故か毎年お約束のように規格外/制御不能の変わりモノが混ざっていて諸江さんは憔悴しきっています(笑)。
そして彼らが例外なく諸江さんをとても慕っているという不思議…(笑)。
その様子を目にするにつけ、諸江さんの中には自分と同じクリエイターに対する立場を越えた不変のリスペクトがあって、それが彼らをして慕わせるんだろうと思います。そう、建築の前に人は平等です。
諸江クラスで印象に残った、複雑系スキップフロアの作品。一人だけ1/50模型!デカい。断面的だけでなく平面的にも広がる複雑なスキップフロアが無理なく破綻もなく良く解かれています。
縦横に上る階段が楽しげでとても良いです。かなり気に入っているので、これだけ写真2枚(笑)。

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今期、諸江クラスのミスター制御不能の作品(笑)。直線/曲線の二重になった壁が螺旋状の動線を作り、その道程でアウターウォールがぐにゅっと内部に押し込まれることで諸室が出来ている…ということですが、もはやよくわからない(笑)。
模型はドラキュラ城が爆撃を受けた後みたいに見えますが(笑)、目指していたのはつるっときれいなものらしいです。(当初は3Dプリンターで作ろうとしていた。)

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しかも、彼が後で出て来るうちのクラスのミスター難解と仲良しという…濃いだろぉ、今年は(泣)。
 
うちのクラスは授業内では、敷地の特性を読み込むこと、プログラム=機能同士の「関係性」を設計すること、等メインストリームをかっちり踏襲して伝えていたつもりでした。が、並べてみると他の先生からは「まきさんのとこは自由ですねーーwww」みたいな反応で(汗)。いやいや、そんなつもりは…と思いつつ、やっぱりそうなのかな、とも思いつつ、出来不出来は置いておいて私が特に色々考えさせられた作品を中心に振り返りたいと思います。
ちなみに諸江さんの全体評↓
 
まずはミスター難解(笑)。都市の異なる街区グリッドとグリッドの拮抗点として「出来てしまった」三角形という敷地の特異性とその生成過程に目を向け、同じような方法=様々なグリッド同士の間に偶然発生する不定形な隙間=非計画的な場所をつくることで、建築に特異場を生成するようなダイナミクスをもたらすことができるだろうか、という仮説に挑んだ作品。
私なりに彼のコンセプトを噛み砕いたつもりですが、書いてて既に難しいです(笑)。
逆説的ですが、こうした一見ランダム、非計画な計画ほど、見えない骨格が重要になるということもよくわかります。
つまり見えないけど全体を支える骨格がないと、特異点も可視化できないという…。
そう言う意味では全体が若干均質的だったのが、よくもわるくも作品をより難解にしていたと思います。
講評の際は、非計画といいつつもすごく計画的に見える、とか、非計画といいつつもだからこそさまざまなことを綿密に計画しないといけないんじゃ?という至極まっとうな評がありました。

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常に都市を見据えているような視線がとても良いのですが、空間はもっとどこかに説明不可能な色気があってもよかったかなぁと思うところでもあります。方法論がどこかで破れる瞬間があったら、建築の中に都市的なものが裏返って現れている、そのスリリングさがもっと出たような気がします。
それは、しかし計画です。自分で作って自分で破る。
それをしなかったのはもしかすると本人の誠実さなのかもしれないですね。
これは都市的なものとして、つまり遅れて立ち上がって来るものとして建築をつくる、という一見「設計」とは真っ向から対立するような方法に見えますが、ある意味、私にとって空間の魅力というのは設計とはまた別個に立ち上がって来る何かでもあると思えるんですよね。それは空間と私の間に、その瞬間に起こる非常にパーソナルな現象であり、そう言う意味では、計画しつつもその計画の外で建築が立ち上がることは十分ありえると思う。
建築にまつわるすべてを計画することは不可能だけど、やってる以上すべて計画しないことはありえないわけで、つまりはこの建築の中であるいは少なくとも本人の中で、何か計画で何が計画でないのかが、もっと可視化されている必要があったのかもしれません。
 
しかし、この部分と部分の「間」に立ち上がるもの/部分と全体の関係、というのは私自身の興味の中心でもあり、今回のクラスの作品を概観すると、かなりその傾向が強く現れてしまったな…と思います。
全体構成から切り分けていって部分が演繹的に決定された計画よりも、部分が集まって偶然出来たかに見える全体の方に魅力を感じる。とはいえ部分を積み上げる際になんとなく目指している全体があるから、全体が部分よりも必ず遅れるということではないし、むしろ部分と全体は、全く等価に、同時に立ち上がるもの、という気がしています。
 
この二層構造体は、作品としては稚拙さもありますが、実は難解くんが作品の中でやりたかったことが偶然できてしまっているかのようにも思え、建築の有り様としてなかなか面白いと思っています。

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部分と全体の関係が緩くて、それこそ互いにあまり関係のない部分が寄り集まってなんとなく出来てしまった全体があり、その出来た全体によってまた新たな場所がうまれるという、建築の生成過程が一つの建築の中に混在していて、不可思議な場を作っています。全体のかっちりとした枠組みはあまりなくて、何か関係性だけが、生成の現場だけがあるような様相になっています。
下の小さいボックスの集合体は実は内部でゆるゆると繋がっていて、そこでもまたなかなか面白いシークエンスの展開がありそうなのですが、そのあたりは全然プレゼンされてません(笑)。見せ場のいっぱいある作品なのにもったいない…。
講評では、わかる…けど上のアレはちょっと頂けないでしょう、という至極まっとうな評がありました。
でも、構造体と構造体の間に場が生まれつつある、ここはすごく魅力的です。
その面白さを本人が分かってるといいんですが(笑)。
 
次は個人的に、部分と全体の関係について、気付かされた作品です。

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この作品、エスキスの際に見ていたのは下部の積層で出来た壷型の部分しかなくて(単に途中だっただけだと思いますが)、そっかガンダムベースかーと思っていたのですが、提出時にはじめて上層部分が乗った状態を見て、あ、建築になった!と思ったのです。
ちなみにガンダムベースとは例年一人はいるガンダム基地っぽい造形の作品で、私としては建築ぽいけど似て非なるもの、を意味しています。
何がこの作品を建築せしめたのかといえば壷型が一度収束した後その上に乗った三角部分なのですが、要はこれが下の構造体と似たボキャブラリーを用いつつ、そのシンメトリーの構成を破ってイレギュラーなものとして現れたことが重要です。
その一点で建築になったと感じたことで、ガンダムベースと建築の違いはなんだろうと考えるに至りました。
 
現段階の仮説ですが、両者の違いは部分と全体の関係性にあります。
私がガンダムベースと称しているものは、全体が何かを象徴したり高度な機能や性能を有している為に全体性が強く、部分と全体がより緊密な関係になっているものです。そこにおいて重要なのは全体で、部分は専ら全体に奉仕するものとして扱われます。つまり、よりメカに近い状態です。極限にいけば部分というより部品ですね。
でも建築における部分と全体の関係はそうではない。部分は部分としてそれぞれ個性があり、意味のある部分が寄り集まって形成されるのが建築における全体です。
…と、少なくとも私は考えている、ということに彼の作品の跳躍を目にしたことで、気がついたのです。
だから、全体の意匠がメカっぽくてもガンダムベースでない建築は十分ありえるし、ホワイトキューブを模していてもガンダムベースになってしまう場合もありえる。
 
 
翻って見れば、これはそもそも建築というより都市における部分と全体の関係に近いのかもしれません。
意味のある部分と部分の間に偶然できる何か、部分と部分の集合体として立ち上がって来る何か、に建築としての面白さを感じています。立ち上がって来る、といってもそこに文字通りの時間的な遅れがあるわけではなく、建築としては同時に存在するんだけど、でもその都度現象するかに見える…つまり他の同時的な可能性の存在を常に感じるということなのかもしれません。
時間を越えて、常にその都度、場の、空間の生成現場になっている、そういう建築に憧れるし、そういうものを作りたい。
 
というわけで、今年も示唆に富む作品にたくさん出会えて、よかった。面白かったな。
ここだけの話ですが、うちのクラスの作品が一番良かったよ(笑)!